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軍事から文民政権となり反日が加熱!出典:『韓国 反日感情の正体」黒田勝弘著 p13~p15 韓国の現代史を振り返ってみると、反日をめぐって興味深い変化がうかがわれる。軍人出身の大統領が国を率いた軍人政権の時代と、その後の民主化時代といわれる非軍人の 政治家が率いる文民政権の時代では、反目に温度差があるのだ。 軍人政権時代の反日は比較的弱く、文民政権時代の反日はより強いのだ。反日が激化した一九九〇年代半ば以降は後者、つまり文民政権の時代なのだ。 時間的には前者は一九六一年から一九九三年までの朴正照、全斗換、慮泰愚政権時代で、後者は一九九三年から現在までの金泳三、金大中、慮武鉱、李明博、朴樺恵政権時代をいう。 しかも軍人政権の前、日本支配から解放された直後の初代大統領の李承晩(一九四八-六〇年在職) は、李朝時代末期の科挙を経た典型的な文民エリート出身の抗日独立運動家だった。彼の反日強硬政策はつとに有名である。竹島(韓国名・独島) を韓国領として一方的に囲い込んだ一九五二年の「李承晩ライン」 の主である。 この海上支配ラインによって日本漁船二百三十三隻が拿捕され、漁船員二千七百九十一人が抑留され五人が韓国で死亡した。これは戦後の日本人の対韓感情悪化の大きな背景になった。したがって反日民族主義にとらわれていた彼の在任中は、日韓国交正常化は実現しなかった。 韓国の軍人政権は一九六一年、朴正照のクーデターでスタートした。彼は一九六五年、学生(!)運動を先頭に世論の激しい反対(反目)運動を戒厳令で押さえて日韓国交正常化に踏み切った。反日より経済建設という実利を選択した結果である。この反日という「理念」より経済という「実利」 の選択は、戦いに勝つか負けるか、戦闘力重視の現実的組織集団である軍人ならではのことではなかったか。 ところがいわゆる民主化で文民政権が復活した金泳三政権以降、反日が高まり日常化するのだ。 金泳三の政権スローガンで民族主義的な理念型の「歴史の正しい立て直し」論は有名である。同時にこのころから独島が反日愛国の民族主義の象徴としてもてはやされるようになり、今にいたる。いわゆる慰安婦問題も同じだ。韓国がこの問題を日韓の外交問題にするようになったのは、一九九〇年代以降のことである。 PR |
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